⏳ 今日のテーマ
なぜ同じ出来事を扱っているのに、
- 話が噛み合わない
- 不毛な応酬になる
- 最後は感情論で終わる
という事態が起きるのか。
理由は単純だ。
感情文と事実文が、同じ文章内で混線しているから。
感情文と事実文は、役割が違う
まず大前提。
- 感情文が悪い
- 事実文が正しい
という話ではない。
用途が違う。
- 感情文:内面の処理
- 事実文:状況の共有
問題は、
事実共有の場に感情文を持ち込むことだ。
感情文は「評価」、事実文は「記録」
例を並べる。
- 「配慮が足りなかったと思います」
- 「失礼な対応だったかもしれません」
これはすべて感情文だ。
一方、
- 「◯時に連絡があり、◯時まで返答はなかった」
- 「事前の連絡なく開始時刻を過ぎた」
これは事実文。
感情文は
👉 意味づけ
事実文は
👉 出来事そのもの
両者は、同じ土俵に立たない。
なぜ人は感情を先に書いてしまうのか
理由はひとつ。
そのほうが安全だから。
感情を書くと、
- 相手は反論しづらく
- 空気が柔らかくなり
- 責任の話が後回しになる
これは
👉 私起点の文章の危険性【解説記事#21】
と同じ構造だ。
感情は、議論を始めるための言葉ではなく、
終わらせるための言葉として使われる。
感情文が議論を壊す瞬間
感情文が入った瞬間、論点はズレる。
- 事実の確認 → 気持ちの否定
- 判断の検証 → 人格批判
結果、こうなる。
「そんなつもりじゃなかった」
「傷ついた」
ここから先、
何も前に進まない。
事実文が「冷たい」と言われる理由
事実文は、
- 感情を代弁しない
- 評価をしない
- 空気を読まない
だから、
冷たい
思いやりがない
と言われやすい。
だが実際は逆だ。
感情を混ぜないから、対立が起きにくい。
事実文は、相手を攻撃しないための
最小摩擦の文章でもある。
実務で起きる典型的なすれ違い
教育・仕事・家庭。
感情文が先に出る場では、
- 判断基準が共有されず
- 責任の所在が曖昧になり
- 不満だけが残る
一方、事実文が残る場では、
- 誰が何をしたかが残り
- 判断の修正が可能になり
- 感情の衝突が減る
成果が出るのは、感情が薄い現場だ。
巻き込まれないための観測視点
感情文の多い人を変える必要はない。
見るべきはこれ。
- この文章は、処理のためか
- 共有のためか
対応はシンプルだ。
- 事実に書き直す
- 時系列に戻す
- 評価語を削る
感情文は、事実文に変換できる。
🪞まとめ|事実文は、人を守る文章である
感情文は、心を守るための文章。
事実文は、
関係を守るための文章だ。
混ぜると壊れる。
だから、
- 記録は事実で
- 感情は別で処理する
それだけでいい。
感情が強い時代だからこそ、
事実文を書ける人の価値は、
静かに上がっていく。
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